2023年度、日本各地で発生したクマによる人身被害は219人(うち死亡6人)に達しました。これは統計開始以降、過去最悪の数字です。しかし、この数字が示しているのは単なる件数の増加ではありません。通学路を歩いていた子ども、自宅の庭で作業をしていた高齢者、バス停でバスを待っていた住民が、日常生活の中で突如として命の危険にさらされたという現実です。
これまでクマ被害は「山に入った人が注意すべきリスク」として扱われてきました。しかし現在起きている事態は、その前提が完全に崩れていることを示しています。人が危険な場所に近づいたから起きた事故ではなく、危険そのものが生活圏に入り込んでいる状況は、地震や豪雨と同様に、社会全体で備えるべき「災害」として捉え直す必要があるのではないでしょうか。
ところが、クマ被害をめぐる制度や行政の枠組みは、こうした変化を十分に反映できていません。その遅れが、現場の混乱と不安を拡大させています。
30年から40年前、クマによる被害は決してゼロではありませんでした。ただし、その多くは山中で発生していました。山菜採りやキノコ狩り、渓流釣りなど、人がクマの生息域に足を踏み入れた際に起きる、いわば「遭遇事故」が中心でした。
当時は「鈴を鳴らす」「ラジオをつける」といった対策が有効だと考えられていました。これは、クマが人間を恐れ、気配を察知すれば避けていく存在だったからです。山という明確な境界があり、人と野生動物の生活圏には一定の線引きが存在していました。
しかし、現在は状況が大きく異なっています。
被害が発生する場所は山中にとどまらず、住宅街や市街地、さらには民家の敷地内にまで及んでおり、窓を開けたらクマがいた、玄関を出た瞬間に鉢合わせした、といった事例は、もはや特殊な出来事ではありません。生活圏そのものが危険にさらされている状態です。
専門家の間では、近年のクマを「都市型クマ」と呼ぶことがあります。人の気配や車の音に慣れ、人間を強い脅威として認識しない個体が増えていると指摘されています。
また、人里には廃棄された農作物や生ゴミなど、高カロリーで効率のよい餌が豊富にあります。クマの行動が変化している一方で、人間側の制度や対策は十分に追いついていないことが、被害拡大の背景にあると考えられます。
この変化を引き起こした背景には、人間社会の構造変化があります。
かつて、集落と奥山の間には里山と呼ばれる中間地帯が存在していました。薪を拾い、下草を刈り、人の手が入った里山は見通しが良く、クマにとって身を隠しにくい場所でした。
その結果、里山は奥山と人里を分ける「緩衝地帯」として機能していました。しかし、過疎化や高齢化、生活様式の変化によって里山の管理は放棄され、奥山と集落が連続した環境になっています。
さらに、耕作放棄地の増加も深刻です。収穫されない果樹や放置された畑は、クマにとって極めて魅力的な餌場となります。これを個人の管理責任として片付けるのは現実的ではありません。高齢化が進む地域では、もはや個人単位での対応には限界があります。
本来、これは地域全体の安全に関わる問題であり、防災や国土管理の視点から捉え直されるべき課題ではないでしょうか。
クマ被害が拡大しているにもかかわらず、対応が後手に回る最大の理由の一つが、行政の責任構造の曖昧さです。環境行政は野生動物の保護と管理を重視し、農林行政は農作物被害への対応を主眼としています。警察は市民の安全を守る組織ですが、野生動物対応は本来の専門分野ではありません。
その結果、「市街地に出没したクマから住民を直接守る」という役割を明確に担う組織が見えにくい状態になっています。現場対応の多くは市町村職員や猟友会に委ねられていますが、これは制度的な設計というより、事実上の丸投げに近い状況です。
猟友会は高度な技能を持つ一方で、多くは高齢の民間人であり、十分な補償や法的保護があるとは言えません。
この体制が長期的に持続可能かと問われれば、疑問を抱かざるを得ないのではないでしょうか。
警察官がクマ対応の主体になれない理由は、装備と法制度の両面にあります。
拳銃は本来対人用であり、大型獣を確実に制圧することを前提としたものではありません。また、警察官職務執行法上、予防的な発砲には厳しい制約があります。
一方、ハンターは専門性を持ちながらも、鳥獣保護法により市街地での発砲が原則禁止されています。住民を守るために行動した結果、後から責任を問われる事例が存在することは、現場の萎縮を招いています。
「撃てば処分される可能性があり、撃たなければ住民が危険にさらされる」
この矛盾した構造が解消されない限り、迅速で適切な対応は難しいのではないでしょうか。
現在の状況を踏まえると、次のような視点が求められているように思われます。
● クマの異常出没を「災害」と位置づけ、国の責務を明確にすること。
● 専門的な知識と権限を持つ対策人員を、継続的に確保する仕組みを整えること。
● 里山や緩衝地帯の整備を、防災・国土管理の一環として位置づけること。
● そして、緊急時の対応における法的責任の整理です。
いずれも感情論ではなく、「住民の安全をどう守るか」という観点から冷静に議論される必要があります。
自然との共生は大切な理念です。
しかし、その前提として、人の命と生活の安全が確保されていなければなりません。
現在のクマ被害は、環境問題であると同時に、防災や地域社会の持続性に関わる問題でもあります。制度と現実のずれを直視し、感情ではなく仕組みとして対応することが、いま求められているのではないでしょうか。
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