【無料配布】誰でも容易に使える「ショート動画攻略マニュアル」※資料ダウンロード
3年に一度、夏の風物詩とも言える「参議院議員通常選挙」。投票所に足を運んだことがある方は、2枚の投票用紙を手渡された経験をお持ちでしょう。1枚は、お住まいの都道府県(または合区)の候補者個人名を書く「選挙区選挙」。そしてもう1枚が「比例代表選挙」の投票用紙です。
この「比例代表選挙」の投票用紙を見て、不思議に思ったことはありませんか?そこには、ずらりと並んだ「候補者名」と「政党名」の両方が記載されています。そして私たちは「候補者名」を書くか、あるいは「政党名」を書くかどちらか一方を選んで投票します。
これは「非拘束名簿式」と呼ばれる参議院独特の仕組みで、「当選する順位は、政党ではなく有権者が(候補者の個人得票数によって)決める」という重要な原則に基づいています。しかし、2019年の選挙から、この大原則に大きな「例外」が導入されました。
それが「特定枠」制度です。「特定枠」とは、政党があらかじめ「この人を優先的に当選させます」と順位付けできる特別な枠のこと。つまり、有権者の個人票がどれだけ少なくても、党の指定さえあれば当選できてしまう仕組みです。なぜ、有権者が当選順位を決めるという原則を曲げてまで、このような制度が導入されたのでしょうか?
この制度には、どのようなメリットがあり、そしてどのような問題点が隠されているのでしょうか?この記事では、選挙ブログを運営する私たちだからこそお伝えしたい、非常に重要でありながら複雑な「特定枠」の全貌について、その誕生の背景から仕組み、そして私たち有権者に与える影響までを徹底的に解説します。
「特定枠」を正しく理解するためには、まず、参議院選挙の「比例代表(全国比例)」が、衆議院の比例代表とどう違うのか、その基本的な仕組みを知る必要があります。参議院選挙は、「選挙区選挙」と「比例代表選挙」という2つの異なる選挙を同時に行うことで、議員を選出します。任期は6年で、3年ごとに半数(124議席 ※2025年時点)が改選されます。
投票方法:候補者の「個人名」を書く。
選挙単位:原則として都道府県ごと。(※ただし、「鳥取・島根」「徳島・高知」のように、人口の少ない県は「合区(ごうく)」されています)
当選の決まり方:各選挙区で得票数の多い順に、定められた定数(1〜6人)の候補者が当選します。
投票方法:「候補者名」または「政党名」のどちらかを書く。
選挙単位:日本全国を一つのブロックとする「全国比例」。
当選の決まり方:これが非常に重要です。
まず、各政党が獲得した「政党名の票」と、その政党に所属する「候補者個人の票」をすべて合算します。この「総得票数」に応じて、各政党に議席が配分されます(ドント式という計算方法が使われます)。
次に、政党内で「誰が当選者となるか」を決めます。ここで使われるのが「非拘束名簿式(ひこうそくめいぼしき)」というルールです。
政党が作成した名簿の「順位」は関係なく、その政党に所属する候補者の中で、「個人名での得票数」が最も多かった人から順番に当選していく仕組み。(例)A党が比例代表で「3議席」獲得したとします。
甲候補(A党): 25万票
乙候補(A党): 20万票
丙候補(A党): 10万票
丁候補(A党): 5万票
この場合、個人票の多い順に、「甲さん」「乙さん」「丙さん」が当選となり丁さんは落選となります。「特定枠」が登場するまではこのように参議院の比例代表は、政党が「この人を当選させたい」と順位を操作することができず、最終的な当選順位は有権者一人ひとりの「個人票」によって決まるというように民主的な仕組みが採用されてきました。
2019年の参議院選挙から導入された「特定枠」は、この「非拘束名簿式」の原則を根底から覆す、全く新しい仕組みです。
特定枠とは、参議院の比例代表選挙において、政党が「当選させたい候補者」をあらかじめ指定し、個人名での得票数に関わらず、他のどの候補者よりも優先的に当選させることができる特別な枠組みのことです。これは、衆議院の比例代表選挙などで採用されている「拘束名簿式(こうそくめいぼしき)」(=政党が順位を決める)を、参議院の比例代表に部分的に持ち込んだものと言えます。
特定枠が導入されたことで、比例代表の当選順位は、以下のような二段階のプロセスで決まることになりました。
第1優先
「特定枠」に指定された候補者
まず、政党が「特定枠1位」「特定枠2位」と指定した候補者が、その順番通りに無条件で当選します。この候補者たちの個人得票数が、たとえ1票であろうと10万票であろうと一切関係ありません。
第2優先
「特定枠」以外の候補者(従来通り)
政党の総議席数から、特定枠で当選した人数を引いた「残りの議席」を、特定枠以外の候補者たち(=非拘束名簿の候補者)が争います。ここでの順位は、従来通り「個人名での得票数」が多い順に決まります。
言葉だけでは分かりにくいので、具体的な例で見てみましょう。
(例)B党が比例代表で「5議席」獲得したとします。
B党の名簿
特定枠1位: 甲さん
特定枠2位: 乙さん
(ここから非拘束名簿)
丙さん
丁さん
戊さん
己さん
開票結果
(特定枠)甲さん: 個人得票 5,000票
(特定枠)乙さん: 個人得票 3,000票
(非拘束)丙さん: 個人得票 300,000票
(非拘束)丁さん: 個人得票 200,000票
(非拘束)戊さん: 個人得票 100,000票
(非拘束)己さん: 個人得票 50,000票
当選者の決定
B党の当選枠は「5」です。
1.まず、第1優先として、個人得票数に関係なく「特定枠」の候補者が当選します。
1人目当選: 甲さん(特定枠1位)
2人目当選: 乙さん(特定枠2位)
2.次に、残りの議席「3枠」(=5議席 − 2議席)を第2優先として、非拘束名簿の候補者が個人得票数の多い順に獲得します。
3人目当選: 丙さん(個人票 30万票)
4人目当選: 丁さん(個人票 20万票)
5人目当選: 戊さん(個人票 10万票)
落選者
己さん(個人票 5万票)
この結果が示す「異常さ」にお気づきでしょうか。有権者から30万票もの支持を集めた「丙さん」よりも、わずか5千票しか獲得していない「甲さん」が当選順位としては上になります。そして、5万票の支持を得た「己さん」は落選する一方その6分の1以下の3千票しか得ていない「乙さん」が当選しているのです。
これが、「特定枠」が持つ強力な当選順位の操作力です。
有権者の意思を(少なくとも部分的には)無視するような、こんないびつな制度が、なぜ導入されることになったのでしょうか。それには、「建前」としての表向きの理由と、「本音」としての政治的な思惑が複雑に絡み合っています。
導入の表向きの理由:「合区」の救済
特定枠導入の最大の「建前」は、参議院選挙区で起きた「合区」の救済措置です。
参議院の選挙区選挙は、都道府県単位で行われてきました。しかし、人口が最も多い東京都と、最も少ない鳥取県とでは、議員1人あたりの有権者数に大きな「格差」(一票の格差)が生まれていました。
最高裁判所は、この大きな格差を「法の下の平等に反する」として、繰り返し「違憲状態」または「違憲」であると厳しく判断してきました。
この最高裁の判決を受け、国会は苦肉の策として、人口の少ない隣接する県を一つの選挙区に統合する「合区」を2016年選挙から導入しました。
「鳥取県」と「島根県」 → 「鳥取・島根選挙区」(定数1)
「徳島県」と「高知県」 → 「徳島・高知選挙区」(定数1)
この合区により格差は是正されましたが新たな問題が発生しました。それは、「自分たちの県から国会議員を選べなくなる」という強い反発です。例えば、「鳥取・島根選挙区」では、鳥取県出身の候補者と島根県出身の候補者が戦い、どちらか一方(あるいは両方)が落選します。これでは敗れた県の住民は「自分たちの地域の声を国会に届ける代表者がいなくなった」と感じてしまいます。
そこで自民党などが中心となって打ち出されたのが「特定枠」です。
その論理はこうです。
「合区によって選挙区から立候補できなくなった県の候補者(主に現職議員)を、所属政党が比例代表の『特定枠』で処遇しよう。そうすれば、その候補者は選挙運動で苦労することなく(=個人票に関係なく)当選でき、引き続き国会で(元)〇〇県の代表として活動できる」。これが、「特定枠」が合区対象県への「配慮」「救済措置」として導入された表向きの理由です。
導入の政治的な本音:「党が当選させたい人」の指定席
しかし、この制度は政党にとって「合区の救済」という名目以上に、はるかに“おいしい”メリットを持っていました。それは「党が当選させたい候補者を有権者の人気に関わらず、確実に当選させられる議席」を手に入れたことです。
「非拘束名簿式」の原則の下では、政党がどれだけ「この人は優秀だ」と評価していても、その候補者の全国的な知名度が低かったり、選挙運動が苦手だったりすると、個人票が伸びずに落選してしまいます。しかし「特定枠」を使えば、以下のような候補者を確実に国会に送り込めます。
・党執行部のお気に入りの候補者
・選挙は弱いが党の政策立案に不可欠な専門家(政策通)
・党の有力な支持団体(業界団体や労働組合など)の代表者
・合区とは関係ないが、処遇したいベテラン議員
・とにかく確実に当選させたい目玉のタレント候補
実際、2019年や2022年の参議院選挙では多くの政党が「合区の救済」とは全く関係のない候補者を、この「特定枠」に指定して当選させました。制度の導入目的が早々に形骸化し、単なる「党利党略の道具」「党執行部の指定席」として利用されている実態が浮き彫りになっています。
この「特定枠」制度は、日本の民主主義にとってどのような影響を与えるのでしょうか。賛成派の意見(メリット)と、反対派の意見(デメリット)を整理します。
選挙は、どうしても知名度や人気が先行しがちです。「非拘束名簿式」の個人票の戦いでは、地道な研究を続ける学者、現場で活動するNPOの専門家、卓越した実務能力を持つ官僚OBなどは、タレント候補や有名候補に勝てません。「特定枠」があれば、政党の「目利き」によって、選挙の強さとは関係なく、国会に必要な多様で有能な人材を確保できる、という主張です。
建前上の目的ですが、合区によって代表者を失ったと感じる地域の不満を和らげ、地域間のバランスを取るための政治的な「知恵」である、という見方です。
党の重要な政策(例:税制、外交、医療)を長年担ってきたベテラン議員が、選挙の逆風で落選してしまうと、党の政策機能が低下します。特定枠でそうした専門家を保護することで、安定した政策立案が可能になる、という側面です。
一方で、この制度が抱える問題点は非常に深刻であり、多くの専門家や市民団体から強い批判が寄せられています。
これが最大の問題点です。参議院の比例代表が「非拘束名簿式」を採用した理念は、「当選する議員は、政党の都合ではなく、有権者の直接の選択によって決まるべきだ」というものでした。特定枠はこの理念を真っ向から否定します。
有権者が「この人は国会にふさわしくない」と判断し、全く個人票を投じなかった候補者(例:前述の乙さん 3,000票)が、有権者が「この人がいい」と選んだ候補者(例:己さん 5万票)を差し置いて当選する。これは、有権者の「当選させる権利」と「落選させる権利」を、政党が奪い取る行為に他なりません。
「特定枠」という「絶対に当選できるプラチナチケット」を配る権限は、党の執行部(党首や幹事長)が握っています。議員や候補者からすれば、有権者に向かって地道に政策を訴える努力をするよりも、党の執行部に気に入られ、「特定枠」に入れてもらう方がよほど楽に当選できます。
その結果、議員は有権者の声よりも党執行部の顔色をうかがい、党の方針に一切逆らわない「イエスマン」ばかりになる危険性があります。これは、議会が多様な民意を反映する場ではなく、党執行部の追認機関となることを意味し、民主主義の質を著しく低下させます。
前述の通り、本来の目的であった「合区の救済」はもはや口実に過ぎず、各党が「党の都合」で特定枠を自由に利用している実態があります。これは、国民(有権者)を欺き、法律の抜け穴を利用した「議席の私物化」であるという強い批判があります。
そもそも「一票の格差」という憲法上の問題を是正するために、「合区」という痛みを伴う改革を行ったはずです。それなのに、合区で生じた不満を解消するために、「特定枠」という有権者の意思を歪める別の「不公正」な仕組みを持ち込むのは、本末転倒です。「違憲状態」を解消するために、別の「非民主的な仕組み」を作ったに過ぎない、という根本的な批判です。
今回は、2019年から導入された参議院選挙の「特定枠」について、その仕組みと問題点を解説しました。特定枠とは、参議院比例代表において、政党が当選順位を自由に決めることができる特別な枠であり、指定された候補者は個人得票数に関係なく優先的に当選します。この制度は、「非拘束名簿式(=当選順位は有権者の個人票で決まる)」という参議院比例代表の大原則の「例外」です。
導入の「建前」は、「一票の格差」是正のために行われた「合区」の救済措置でした。しかし「本音」として、政党が「確実に当選させたい候補者」を送り込むための「党利党略の道具」として機能している側面が強く、制度の目的外利用が横行しています。この制度には、「多様な人材の確保」というメリットが主張される一方で、「有権者の意思の軽視」「党執行部への権力集中」といった民主主義の根幹を揺るがしかねない深刻なデメリットが内包されています。
私たち有権者は、この「特定枠」の存在を知った上で参議院選挙に臨む必要があります。私たちが比例代表で「政党名」を書いた一票は、その政党の議席を増やす力になると同時に、その政党が「特定枠」に指定した、私たちが支持していないかもしれない候補者を優先的に当選させる力にもなっているのです。
各政党が「特定枠」という強力なカードを、どのような目的で、どのような人物のために使っているのか、それを厳しく監視し、選挙での投票行動に反映させていくことこそが、この制度と向き合うために私たちにできる最も重要なことだと言えるでしょう。