「#投票行った」—このハッシュタグを付けたSNSへの投稿は、近年、選挙のたびに見られるポジティブな文化として定着しました。特に、デジタルネイティブ世代にとって、投票という行為を気軽に共有し、友人やフォロワーに政治参加を促すこの動きは、民主主義の活性化に大きく貢献しています。
しかし、この手軽さの裏側には、公職選挙法という非常に複雑で、時に直感に反するルールが存在します。インターネットを使った情報発信は、候補者にとっては有権者と直接繋がる強力な武器であると同時に、一つの誤った投稿が「選挙違反」という深刻な事態を招きかねない諸刃の剣でもあります。
この記事では、来る2025年の東京都議会議員選挙を見据え、SNSやウェブサイトを利用するすべての人が知っておくべき「ネット選挙のルール」を徹底的に解説します。一般有権者向けの基本的な注意点から、特に候補者や選挙運動員が遵守すべき専門的な義務・禁止事項までを深掘りし、皆さまが安心して、かつ効果的にインターネットを活用するための羅針盤となることを目指します。
ー目次ー
ー【有権者編】知らないと危険!SNS投稿で選挙違反にならないための注意点
ー【候補者・運動員編】これだけは押さえるべきネット選挙の重要ルール
まず、一般の有権者がSNSを利用する際に、意図せず選挙違反となってしまうことを避けるための基本的なルールを確認します。
選挙期間中のSNS利用で最も重要なのは、「投票に行くことを促す行為(投票喚起)」と「特定の候補者への投票をお願いする行為(投票依頼)」を明確に区別することです。特に、選挙運動が全面的に禁止される投票日当日は、この違いが決定的に重要になります。
多くの人が陥りがちな落とし穴が、投票日当日のリツイートやシェアの扱いです。法律上、リツイートやシェアは、単なる情報の拡散ではなく、**その人がその時点で新たに行った「発信行為」**と見なされます。
つまり、選挙期間中に合法的に投稿された「〇〇候補を応援します!」という他人の投稿であっても、それを投票日当日にリツイート・シェアすると、あなたが投票日当日に選挙運動を行ったことになってしまうのです。応援している候補者の過去の投稿をシェアしたくなる気持ちは分かりますが、トラブルを避けるため、投票日当日は特定の候補者や政党に言及したコンテンツの拡散は一切行わないのが最も安全な対処法です。
SNSは情報の拡散が速い反面、誤った情報や悪意のあるデマも瞬く間に広がります。候補者の当選を妨げる目的で虚偽の情報を広める行為は**「虚偽事項公表罪」、また候補者の名誉を毀損する行為は「名誉毀損罪」**として、公職選挙法や刑法で厳しく罰せられます。
候補者に関するネガティブな情報に接した際は、すぐに「いいね」やシェアをする前に一呼吸置き、その情報が信頼できる報道機関や公式サイトから発信されたものかを確認する情報リテラシーが求められます。デマの拡散に加担しないことも、クリーンな選挙を守る有権者の重要な責務です。
表1:有権者の投票日当日のSNS利用 OK/NG具体例
活動の種類 |
✅ 安全な投稿(投票喚起) |
❌ 選挙違反の可能性が高い投稿(投票依頼) |
投稿文 |
「都議会議員選挙、投票に行ってきました!東京の未来のために、皆さんも投票へ!」 |
「〇〇さんに投票しました!皆さんも〇〇さんをよろしくお願いします!」 |
ハッシュタグ |
#投票行った #都議選2025 |
#〇〇さんを都議会へ #〇〇党に一票を |
写真 |
投票所の看板(人が写り込まないように配慮)、投票済証明書 |
自分が記入した投票用紙の写真(秘密投票の原則に反する) |
シェア・リツイート |
選挙や投票率に関するニュース記事のシェア |
選挙期間中に投稿された候補者の応援メッセージをリツイート |
選挙運動のために利用するウェブサイト、ブログ、SNSアカウントには、連絡先を表示する義務が課せられています。この連絡先とは、電子メールアドレスや、返信可能な問い合わせフォームのURL、ダイレクトメッセージが受信できるTwitterのユーザーアカウントなどを指します。
この義務の背景には、ネット上の発言に対する責任の明確化という目的があります。匿名での誹謗中傷や無責任な情報発信を防ぎ、誰が発信しているのかを明らかにすることで、健全な議論を促すための重要な仕組みです。違反した場合、「1年以下の禁錮又は30万円以下の罰金」が科され、有罪となれば選挙権・被選挙権が停止される可能性もある、非常に重い義務です。
ビジネスの世界では当たり前の有料広告ですが、選挙運動においては、候補者個人が有料のインターネット広告を出すことは全面的に禁止されています。これには、GoogleやYahoo!の検索連動型広告、SNSの投稿を宣伝するブースト機能、YouTubeの動画広告などが含まれます。
この厳しい規制の根底にあるのは、「選挙の公正」を確保し、資金力による格差を防ぐという公職選挙法の基本理念です。候補者の政策や資質ではなく、資金の多寡が選挙結果を左右する事態を避けるための「鉄の掟」と言えます。この考え方は、買収や腐敗を防ぐために設けられた戸別訪問の禁止といった、法律の歴史的な経緯とも通底しています。
ただし、例外として政党等は、選挙運動期間中に自らの選挙運動用ウェブサイトに直接リンクする形の有料バナー広告を掲載することが認められています。この違いを正確に理解しておくことが極めて重要です。実際に、このルールを知らずに有料広告を出し、選挙違反で摘発された事例も報告されています。
インターネット選挙運動が解禁されても、電子メールの利用には特に厳しい制限が残っています。
公職選挙法では、年齢満18歳未満の者が選挙運動を行うことを固く禁じています。このルールは1950年代に導入されて以来、現在まで維持されています。
これは当然、インターネット上の活動にも適用されます。例えば、17歳の高校生が、応援する候補者のためにSNSで応援メッセージを投稿したり、候補者の投稿をリツイート・シェアしたりする行為は、すべて選挙違反となります。候補者や選挙事務所は、善意で応援してくれる未成年の支持者が意図せず法を犯すことがないよう、このルールを明確に伝え、適切に管理する責任があります。
表2:ネット選挙の主要ルール比較(有権者 vs 候補者)
活動内容 |
一般有権者のルール |
候補者・政党等のルール |
主な理由・罰則 |
有料ネット広告 |
該当なし |
禁止(政党等に一部例外あり) |
資金力による格差防止、選挙の公正確保 |
選挙運動メール |
禁止 |
許可(厳格な送信先・表示・記録保存義務あり) |
密室での誹謗中傷防止、なりすまし対策 |
Webサイト・SNSでの選挙運動 |
許可(連絡先表示義務あり) |
許可(連絡先表示義務あり) |
発信者の責任明確化、匿名での違反行為抑止 |
投票日当日のネットでの投票依頼 |
禁止 |
禁止 |
選挙当日の静穏確保(クーリングオフ) |
ここまで見てきたように、ネット選挙のルールは非常に複雑です。多くの人が「なぜこんなに厳しいのか?」と疑問に思うことでしょう。その背景には、日本の公職選挙法が守ろうとしてきた2つの価値観のせめぎ合いがあります。
それは**「選挙の公正」と「表現の自由」**のバランスです。日本の公職選挙法は、その誕生の経緯から、買収や利益誘導といった腐敗を防ぎ、候補者間の選挙運動の機会均等を確保することを非常に重視してきました。戸別訪問の禁止や、配布できるビラの枚数制限といった規制は、すべてこの「選挙の公正」という理念から来ています。
2013年のネット選挙解禁は、この伝統的な枠組みの中に、インターネットという新しい「表現の自由」のツールをどう位置づけるか、という大きな挑戦でした。その結果、有権者の情報アクセスを向上させ、政治参加を促進するという目的を達成しつつも、ネット特有の誹謗中傷やなりすましといった弊害を防ぐための、いわば「妥協の産物」として、現在の複雑なルールが生まれました。
テクノロジーが日進月歩で進化する現代において、法律が時代に追いついていない側面があることは否めません。しかし、選挙の公正さを守るという法の精神を理解し、現行法を遵守することが、民主主義の根幹を支える上での大前提となります。
インターネット、特にSNSは、候補者が政策や理念、そして人柄を有権者に直接届け、共感の輪を広げるための、現代選挙において最も強力なツールです。
しかし、その力を最大限に引き出すためには、2つの要素が不可欠です。一つは、有権者の心に響くメッセージを創造し、支持を広げていく**「攻め」の戦略**。そしてもう一つが、本記事で解説してきたような複雑な公職選挙法を正しく理解し、違反のリスクを徹底的に排除する**「守り」の知識**です。この「守り」を怠れば、たった一つのミスが選挙戦全体を台無しにしかねません。