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「日本の借金は1200兆円を超え、国民一人当たり約1000万円」
「このままでは国家が破綻する」
こうしたニュースを、私たちは何十年も前から耳にしています。
しかし、その一方で、こんな話も聞いたことはないでしょうか?
「日本は『通貨発行権』を持つ自国通貨建ての国債だから、絶対にデフォルト(債務不履行)しない」
両者は、まったく正反対のことを言っているように聞こえます。
もし「破綻しない」のが本当なら、なぜ「国の借金」と大騒ぎするのでしょうか? なぜ政府はもっとお金(通貨)を刷って、景気対策や国民への給付をしないのでしょうか?
この記事では、この日本経済の最大の「謎」について、その核心にある「通貨発行権」「国の借金」「インフレ」という3つのキーワードから、その「からくり」を解き明かしていきます。
まず、この議論の出発点である「通貨発行権」から見ていきましょう。
通貨発行権とは、文字通り「その国の通貨(日本なら『円』)を発行できる権利」のことです。そして重要なのは日本の「国の借金」、すなわち「国債」がすべてこの自国通貨「円」で取引されている(=自国通貨建て)ことです。
これが何を意味するのか。
例えば、ギリシャが財政破綻した例と比べてみましょう。
* ギリシャ(ユーロ導入国)のケース:
ギリシャ政府の借金は「ユーロ」建てでした。しかし、ギリシャ自身に「ユーロ」を発行する権利はありません(発行権は欧州中央銀行=ECBが持っています)。したがって、返済のためのお金(ユーロ)が本当に足りなくなり、デフォルト(債務不履行)の危機に陥りました。
* 日本(自国通貨国)のケース:
日本政府の借金は「円」建てです。そして、日本の中央銀行である日本銀行(日銀)は、「円」を理論上いくらでも発行(創出)することができます。万が一、政府が国債の返済(償還)に困ったとしても、日銀が「円」を発行してその国債を買い取れば、政府は返済ためのお金(円)を金融的に(あくまで帳簿上は)尽きさせることなく用意できます。
このことから、「日本は自国通貨建てで国債を発行しているため、ギリシャのようなデフォルト(返済金が用意できずに破綻すること)は、理論上あり得ない」という結論が導かれます。これが「デフォルトしない」説の最大の根拠です。
「デフォルトしないなら、何も問題ないのでは? なぜ『借金』と呼んで騒ぐのか?」
当然、次にこの疑問が湧いてきます。ここで理解すべきは、「政府」と「中央銀行(日銀)」が(建前上)別人格であること、そして「国債」が誰かの「資産」であるという事実です。
* 政府(財務省):
税金を集め、公共サービスなどでお金を使う「実行部隊」。お金が足りない時、「国債」という借用証書を発行して、民間(銀行など)からお金を借ります。
* 日本銀行:
「円」を発行・管理する「通貨の番人」。物価の安定(インフレ率2%など)を目標に金融政策を行います。
政府が直接お金を刷ることは「財政法」という法律で原則禁止されています(※)。政府はあくまで「国債」という形で「借金」をし、日銀はそれを直接引き受けてはいけない(=財政ファイナンスの禁止)とされています。(※現在、日銀が市場から大量に国債を買う「量的緩和」は、このルールを迂回する形で行われており、実質的な財政ファイナンスではないかとの批判もあります)
つまり、政府が国債を発行した時点では、それは紛れもなく民間の銀行などに対する「借金(負債)」なのです。
さらに重要な視点があります。
「国の借金が1200兆円」と聞くと、私たちは「誰かに返さなければならない大変な負債」とイメージします。
では、政府は「誰に」借金をしているのでしょうか?
答えは、その国債を買っている人たち、すなわち「日本国内の金融機関(銀行や保険会社)や、私たち個人」がほとんどです(※日本国債の海外保有比率は1割以下と低い)。
* 政府にとっては「負債」
* それを買った銀行や個人にとっては「資産(利息がもらえる金融商品)」
政府の「負債」が1200兆円あると同時に、国民(民間)側にはそれを上回る「金融資産」(預貯金や国債など)が存在します。政府の赤字は、巡り巡って民間の黒字(資産)になっているという側面があります。
この構図を無視して、「国の借金」の部分だけを切り取り、家計の「借金」と同じように語るのが、「国民一人当たり〇〇円」というレトリック(表現技法)です。
政府と家計は根本的に違います。
最大の「違い」は、家計は「お金を稼ぐ」ことしかできませんが、政府(と中央銀行)は「お金(円)そのもの」を創り出せる点にあります。
この「国の借金=国民の資産」という側面を強調するのが、「破綻しない」と主張する人たち(いわゆるMMT=現代貨幣理論などに近い立場)です。
ここまでの話をまとめると、
「日本はデフォルトしない。国の借金は、国民の資産でもある。それなら、もっと国債を発行(=借金)して、日銀に買い取らせ(=通貨発行)、そのお金で国民に配ったり、公共事業をすればいいじゃないか」
という考えが出てきます。
これが、この問題の最大の核心です。
なぜ、それを「無限に」やらない(やってはいけない)のか。
その答えこそが「インフレ(インフレーション)」です。
通貨発行権がある国が直面する制約は、「デフォルト(お金が足りない)」ではありません。その国が持つ「実体経済の生産能力(供給力)」、そしてそれによって引き起こされる「インフレ」です。
簡単な例で考えてみましょう。
【無人島の経済モデル】
* ある島に100人の村人がいます。
* この島では、1日に「100個のパン」しか生産できません(=これが島の供給力)。
* 島のお金(通貨)は、全部で「1万円」です。
* この場合、パン1個の値段は、需要と供給が釣り合う「100円」になります。
【政府がお金を2倍に刷ったら?】
* ある日、島の政府が「景気対策だ!」と言って、お金を「1万円」分“無限に”刷り全員に配りました。
* 島のお金は、合計「2万円」になりました。
* しかし、島で生産できるパンの数は、相変わらず「100個」のままです(工場の生産能力は変わらない)。
* みんな手持ちのお金が2倍になったのでパンを買おうとします。
* 結果どうなるでしょうか?
* パン1個の値段は、需要と供給が釣り合う「200円」に跳ね上がります。
これがインフレです。
お金の「量」が2倍になっても買える「モノ」の量が同じなら、モノの「値段」が2倍になるだけです。国民生活はまったく豊かになっていません。
「通貨発行」とは、この例でいう「お金を刷る」行為です。
政府が国債を乱発し、日銀がそれを引き受けて「円」を市場にジャブジャブ供給しても、日本の「生産能力(供給力)」(=パンを焼く能力、車を作る能力、サービスを提供する能力)がそれ以上に増えなければ、ただただ物価が上がる(=円の価値が下がる)だけなのです。
「インフレ」がさらに加速し、制御不能になった状態が「ハイパーインフレ」です。
これは、単に「お金を刷りすぎた」ことだけが原因で起こるわけではありません。ハイパーインフレは、戦争での敗北(ワイマール・ドイツ)や、独裁政権による極端な失政(ジンバブエ)などによって、その国の「生産能力(供給力)」そのものが徹底的に破壊されたり、通貨への「信用」が完全に失墜したりした場合に発生します。
人々が「明日になれば、この『円』という紙切れは、ただの紙くずになるかもしれない」と信じ込み、一斉に「円」を捨てて「モノ(金や食料、外貨)」に交換しようと走り出した時、通貨の暴落(=物価の超高騰)が起こります。
今の日本が、明日すぐにハイパーインフレになる可能性は極めて低いでしょう。日本は世界有数の生産能力と対外純資産(海外に持つ資産)を持つ、非常に豊かな国だからです。しかし、「通貨発行権があるからいくら刷っても平気だ」という考えが暴走すれば、制御不能なインフレ(ハイパーとまではいかなくとも、年率10%や20%といった悪性のインフレ)を招く危険性は常にあります。
一度「円安・物価高」の悪循環が始まると、国民生活、特に輸入に頼るエネルギーや食料品の価格が高騰し、経済は取り返しのつかないダメージを受けます。
この記事の問いに、あらためて答えを出しましょう。
Q1. 通貨発行権があるからデフォルトしない?
A1. はい、金融的には(円建て国債の返済が滞るという意味での)デフォルトはしません。
Q2. 無限に通貨を刷っても破綻しない?
A2. いいえ、「ハイパーインフレ」や「悪性インフレ」という形で、国民生活が実質的に破綻します。
Q3. 国債が「借金」と言われるのはなぜ?
A3. 政府(負債)と国民(資産)という立場の違いと、「インフレ」という制約を警告する政治的・経済的な「物語」が背景にあります。
「財政破綻論(このままでは破綻する)」と「反・破綻論(MMTなど)」は、どちらも「一面の真実」を語っています。
* 破綻論者は、「インフレ」という実体経済のリスクを過度に恐れ、「デフォルト」という金融的な言葉を使って、緊縮財政(増税や歳出削減)の必要性を訴えます。
* 反・破綻論者は、「デフォルトしない」という金融的な事実を根拠に、インフレが起きない範囲で、政府がもっと財政出動(減税や給付)をすべきだと訴えます。
私たちの国・日本は、「デフォルト(破綻)」の心配をする必要はありませんが、本当に心配し議論すべきなのは、「どれくらいのインフレ率(物価上昇)なら許容できるのか」、そして、「限られた生産能力(=国力)を未来のために(医療、教育、インフラ、防衛など)どう最適に配分していくのか」という、極めて現実的で政治的な「選択」なのです。
「借金1000兆円」という数字のインパクトだけに囚われることなく、その裏にある「通貨の仕組み」と「インフレのリスク」の両方を冷静に見極めること。それこそが、今の私たちに求められているリテラシーと言えるのではないでしょうか。